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「革新的アイドル」西城秀樹は理屈じゃ語れない

茂木健一郎(脳科学者)

 西城秀樹さんが亡くなったというニュースを聞いたときは本当に驚いた。63歳。あまりにも早すぎる。西城秀樹さんは、本当のスターだった。まだまだ、そのご活躍を楽しみにしていたファンの方々は多いだろう。西城秀樹さん、どうぞ安らかにおやすみください。心からご冥福をお祈りいたします。偉大なるスターの死の報に接して、西城秀樹さんが輝いていた、あの時代のことを振り返りたいと思う。
 

私が子どもの頃は、日本のテレビは黄金期だった。ある日、その「真ん中」に西城秀樹さんが現れた。見ている側から見れば本当に突然、西城秀樹という光を放った存在が「降臨」したのである。
 鮮明に覚えているのは、5枚目のシングル『情熱の嵐』だ。まず、つかみから圧倒された。ステージ上で歌って踊る西城秀樹さん。客席から「ヒデキ!」の声が飛ぶ。なんだか、それまで見たことがない光景が地上に現れたような気がした。
 西城秀樹さんは、登場したその時から、すでに「完成」された姿を持っていた。情熱をそのまま形にしたような、その外見。力強く、時にハスキーなその声。
 

「西城秀樹」という名前も素敵だった。踊りやしぐさも華麗だった。「ヒデキ!」というファンの掛け声も含めて、すべてが完成されていた。まるで、「イデア」の世界から人間界に降臨した「アイドル」の一つの「原型」であるようにさえ思われた。
 夏目漱石は、『夢十夜』の中で、運慶のような名人が仏像を彫るのは、木の中に埋まっている形をそのまま掘り出すのだ、というようなことを書いている。当時、小学校高学年だった私の前に突然降臨した西城秀樹さんは、まるで世界のどこかに埋もれていた「アイドル」がそのまま出現したかのように見えた。それくらい「完璧」だった。
 

アイドルという存在は、実は「革新性」の塊(かたまり)である。今流行の言葉に置き換えれば「イノベーション」だ。西城秀樹さんは、それまでに見たことがないアイドルのイノベーションを起こしたからこそ、当時の私たちはテレビ画面にくぎ付けになって、目が離せなくなってしまった。


 人間の脳は正直で、見たことがないものにワクワクする。理屈で「これは大切だから」とか、「価値があるから」と言い聞かせても、なかなか集中力は続かない。例えば、アポロ11号で人類が月に到達した時の熱狂がすごかったことは、子供心に鮮明に覚えている。月面着陸がそれまで見たことがないほどの「イノベーション」だったから、あの熱狂が巻き起こったのである。


 その後、月面着陸さえ日常の見慣れた光景になってしまい、人々の関心は急速に冷めていった。宇宙への関心が再び盛り上がるには、近年のイーロン・マスク氏が率いるスペースX社の、火星旅行を含む大胆な計画の出現などのイノベーションが必要だろう。
 西城秀樹さんがアイドルの世界でやったことは、画期的に新しいことだった。『ちぎれた愛』『愛の十字架』など、新しい楽曲を発表するたびに、情熱と絶叫の西城秀樹さんの「アイドル道」が深まっていった。


 世間は「新御三家」などと据わりの良い言葉で西城秀樹という現象を整理しようとしていたが、そこにあったのは今まで見たことがない明るい「大彗星(すいせい)」の登場だったのである。
 そして、西城秀樹さんの姿にファンが見ていたのは「愛」だったのだと思う。
西城さんから放たれていたのは、まさに愛の輝きだった。


歌手、西城秀樹さんが63歳という若さでこの世を去った。スーパースターとしての逸話は数知れない。中でも1983年のヒット曲『ギャランドゥ』は後年、ヒデキを象徴する代名詞になった。今では体毛の濃い男性を意味する俗語として定着したが、その男っぷりは彼の人生そのものだった。昭和を飾った大スターの生き様を考える。


 西城秀樹さんが、革新の精神を忘れなかったことは、後に大ヒットした『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』でも分かる。西城さん自身がアメリカで聞いて日本に持ち込んだというこの楽曲は、目が覚めるほど斬新だった。同時に「西城秀樹」というアイドルのイメージも一新され、さらに魅力が加わった。


 今日に至るまで『YOUNG MAN』は、その独特の振り付けとともに、さまざまな場所で歌われ、踊られるスタンダート曲となっている。『YOUNG MAN』のヒットで、「西城秀樹」の存在はさらに力強く、永遠のものとなった。
 西城秀樹さんの「アイドル」としての存在感がいかに強烈で、純粋なものであったかは、人気アニメ『ちびまる子ちゃん』の中で西城さんが象徴的存在として取り上げられ、世代を超えて共有されるようになったことでも分かるだろう。西城秀樹さんは、本当にアイドルの「イデア」界に到達してしまったのである。
 

 私は10年近く前に、西城秀樹さんのステージを生で見たことがある。「レジェンド」が目の前に現れたことで、心が震えるような感動があった。かつてと同じような若々しさと情熱で歌う西城秀樹さんの姿を見るうちに、目に涙がにじんできたのは、きっと私だけではなかっただろう。


 時が流れ、テレビやアイドルを取り囲む状況もすっかり変わってしまった。今や、かつてのような「国民的アイドル」は存在しない。若い世代のテレビ離れも、もはやニュースにすらならないくらい当たり前のことになってしまった。


 多様性とグローバル化の中で、みんなが漂流している。それでも、私は思うのである。西城秀樹さんが見せてくれたような、恐れを知らぬ大胆な革新の精神さえ忘れなければ、必ず人々を熱狂させる「何か」は生み出すことができるのだと。


1979年3月15日放送『ザ・ベストテン』。ヤングマンが「ベストテン」で初めてナンバー1になったときの歌唱の模様
 『情熱の嵐』で鮮烈に登場した西城さん。『YOUNG MAN』で、さらに新しい「成層圏」へと飛行を続けた西城さん。病に苦しみながらも、若さと情熱を保ってアイドル道を生きた西城さん。そして、ついには世代を超えて親しまれるアイドルの「元型」にまでなってしまった。西城さんのそんな姿は、私たちにとって「生きる」ということは変わり続けることであり、挑戦し続けることであるという、かけがえのないメッセージでもある。
 

 西城秀樹さん、私たちはあなたの歌が、踊りが、そしてその存在が大好きでした。西城さんが亡くなったことで「一つの時代が終わった」、そんなことは言いたくありません。
 西城さんの「熱」と、新しいものを生み出す創造の精神は、きっと私たちの胸の中で生き続けます。だから、西城秀樹というアイドルとその時代は、むしろ形を変えてこれからも続くと信じます。西城秀樹さん、私たちは決してあなたを忘れません。ありがとうございました。そして、これからも。

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